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震災当日(驚愕、恐怖、安否連絡と水!)

2025.01.15

1995年1月17日。とても寒い日でした。

明け方に発生した地震は、まるで麻袋に入れられてジェットコースターに乗せられて振り回されているような状態で、数分間続いてもうやめてくれーと叫ぶ感覚。

神戸生まれで神戸育ち、ほとんど地震はなかったので、神戸には地震はないんだと思い込んでいた私には衝撃的な揺れでした。

子供の上に覆いかぶさって守ろうとしたのですが、あとで見ると私が寝ていたところはタンスが倒れていました。

子供のおかげで怪我を逃れることができました。

外に出ると道路に亀裂が入っている状態で、まずは車の中に避難をしてラジオをつけてみると、、、

「大阪で台所のお皿が数枚割れた」などのんびりした話ばかりで、現地の情報は全く流れていない状態でした。

<初日:悲惨な光景に衝撃!水の確保と安否連絡>

電話は不通、家は標高が高く水もすぐに断水していたため、バイクで水を探しに海岸あたりに降りていくことにして衝撃的な光景を

見ることになります。

 マンションから縄梯子で降りてくる人々、路端で毛布にくるまって泣いている子供、電車の架橋は殆どがずり落ちていて

地割れで車は走れない状態。。。ただ、その時は、ほとんど火災はみかけませんでした。

これは復旧に100年かかるんじゃないかと思った記憶があります。

 まずは、公衆電話で親に無事の一報を入れようとしましたが、どこも長蛇の列でかけられない。

そこで、阪急電車の柵を乗り越えて駅構内の公衆電話からまずは一報を入れてから、水を探して標高の低い海辺にバイクを走らせました。

海岸沿いの公園の水飲み場が一番最後まで(当日の夕方ぐらいまで)水が出ていました。

防災準備など皆無でしたので、段ボール箱にビニール袋を入れたものに公園で水を汲んで2回ほど往復するのが精一杯でした。

午後からは子供を連れて知り合いの安否確認に街に出たのですが、そのころ、電気の復旧が始まりました。

予想外に電気の普及が速かったのには驚きました。懐中電灯もなかったので、電気の普及はとても助かりました。しかしそれが夜の火災につながっていくのです。

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